皆で号泣しました。カラオケボックスで。
今日は予定通り朝5時起きで、6時半に予約してあった美容室で一時間ほどかけて着付け、ヘアメイクしました。
ヘアスタイルは基本的な逆毛を立てて毛先をカールしたアップスタイルで、
アクセサリは花の大きめな髪飾り以外はピアスも指輪もネイルもしないいたってシンプルな装いだったので、ネイルくらいは控えめにデコレートでもしとけばよかったかなーと思いました。
しかし着物が一見子どもの着る浴衣のような、白地ベースに青と赤紫の円模様が入った風変わりな生地だったので、
あまり洋風に崩さず、着飾らずで行って正解だったかも知れないです。
途中から鼻炎と腹痛の症状が出てきたので、適当に薬を飲んで騙し騙し武道館へ出発。
8時半頃に到着すると、それより早くに到着していたクラ友から連絡があり列に紛れ込み、アリーナ席の前から四列目に席を取ることが出来たので、ラッキーでした。
隣の某学部の斜め後ろの列に某O氏が座っていたので、撮影陣やら写メやデジカメで撮影しまくる取り巻きでごった返していて、式が始まるまで大変な事になっていました。
っていうか卒業出来たんだ、そう言えば同じ学年だったっけ、と友人とテンション低めに傍観。
その間も定期的に襲う腹痛。
卒業式自体は、学長が噛みまくったりしていたのを除けば挨拶に卒業証書授与、答辞、表彰と割と単調に進みました。
某メダリストの表彰の時に場がざわめき、それから応援団が登場し、アツく叫んで、彼らのやり口は判っているものの、ついつい笑って否が応にも盛り上がる会場。
舞台の前に踊り出て一緒に気合い入った振りをする卒業生も。とりあえずノリだけは伝わってくるアレです。
その後は校歌を詠唱して締め。
退場する時の学部長さん達がやたらにこやか。
あの先生があんなに笑っているなんて、なんて声もちらほら聞こえました。
しかし楽しかったけど、感動や、泣くようなところのある式ではなかったなというのが感想でした。
12時前に外に出られ、その後は父兄と合流して写真撮影。
クラ友の友人二人の親御さんに初めて会ったのですが、皆子ども達の卒業式に参加出来たのが嬉しいのか終始にこにことしていました。
その後、大学に移動。しっかり者の友人二人はどの道が近いかなど話しつつ親御さんを置いてずんずん先に行ってしまい、
私は一人、二人から距離を置きすぎないようにしつつ、親御さん達が混雑の中私たちを見失わないように標識のように突っ立っては振り返ったりしていました。多分、何やってんだと思われただろうな。
大学に到着すると、卒アルを受け取りに移動。
私は写真は撮らなかったので卒アルは買わなかったのですが、友人が買った卒アルを覗いたりして小休止した後、13時過ぎに卒業証書等受け取る予定になっていたので二人とその親御さんと「これ以上居てもしょうがないでしょ」とすっぱり言い切った自分の母と別れて移動。
その後ロビーでゼミ員の合流を待つ間、再び写真撮影したり、たまたま会った友人と会話していたり。
自分はカメラを使い切ってしまったのが致命的でした。
袴姿の女性陣を前に「ねぇ、今日は皆ノーブラなんでしょ」とさらりと尋ねるK氏。
「私してるよー」「えー、私脱げって言われた」などと、これまたあっさり返答する女性陣。
人によってそうじゃないという事が判明し、K氏はどう想像したのか判りませんが、
ここは憲法に保障されている通り、本人の思想の自由に任せます。
ようやく教授の研究室に挨拶に行けたのは15時前でした。
勿論ほぼ全員昼食抜き。
その頃には私も、薬が効を奏したのか限界を通り過ぎたのか、腹痛も忘れていました。
そこで見た目だけはよく製本された、卒論を潔く手渡しする私。
私の中では卒業論文というのは、「
卒業式に渡す論文」という定義付けだったのです。
ぶっちゃけ、単位認定の時期に卒論提出してなかったのにも関らず、何故か評価は「優」でした。
まぁ、終わりよければすべてよしという事で皆でまた記念撮影。
その後、着替えや諸々の用事で15時半頃一旦解散し、私は院に必要な書類を提出して友人に紹介されたホテルで撮影をして来ました。そういうところだからある程度覚悟してたけど
高かった…
まぁ、それでもこれも記念だからという事で自分を納得させて写真の仕上がりを楽しみにしつつ、5時に予定されている飲み会に参加すべく新宿に移動。
一日袴レンタルで着替える予定のなかった私は教授達とゼミ長と共に先に予約していた居酒屋で飲み始める。
皆には「着物着てたら苦しいでしょ」と言われたりするので、
「そうだよねー、あまり食べられないよね」なんて受け答えしていた割には普段以上のペースで食事を胃に送り込んでいました。
一人、また一人と辿り着く度に乾杯をして和やかに飲みを楽しむ面々。
昼食抜きだけあって皆ほぼ完食しました。
そんな中、ゼミ入室当時から卒業するまでは秘密、と教授と私が約束していたある個人的事実を参加メンバーに暴露。
皆、仰天していましたが、とりあえずその事実を知られて私の立場がどうこうなったり、嫌われたりということはなさそうなので一安心しました。
19時に教授達と別れ、残ったゼミ生はだべりつつ何処かの店に入ろうという事になり、キャッチに捕まる方針で新宿の街をぶらぶらして、そこらに立っているキャッチを寧ろ捕まえて料金をきっちり値切ってカラオケへ。
「誰か泣かせて〜」なんて要望で卒業ソングや懐かしい曲などを主に唄い、宴もたけなわに。
皆で合唱していて、「何かうちら、
今初めて一体になっている気がする」という言葉が出たりする。
そのくらい、うちの代は個人としては悪くないけれど協調性のない人たちばかりだったのだというのがひしひしと感じられる言葉です。
皆、今までにないくらいはっちゃけていて一時間はあっという間に過ぎたのですが、
最後にK氏が皆へのメッセージとしてワンフレーズ、として選曲した、
「
それが大事」というあの懐かしい曲を唄ったのですが
最初「懐かしい〜」とか言ってたのに、そのうち一人が「
あぁ、何か泣きそうー」と言い出してうるうるしだしたら、後は女性陣は連鎖反応で
皆もうぼろ泣き。
私もまさかこの曲で泣かされるとは思いませんでしたよ。
しかもK氏プレゼンツで。
吐きそうなくらい涙出てきた。俺、今この瞬間に初めてゼミ入って本当によかったと思った。遅せよおまえら。本当に遅いよね、最後の最後になって。まさかカラオケで泣くとは思わなかった〜。ゼミ長今までありがとう、苦労かけてごめん。皆本当にありがとう!
そんな言葉が飛び交い、握手して抱き合って退室。
その後写真撮って皆で手を取り合ってOB会は絶対参加すると約束をして、
もし来なかったら
藁人形を作って釘を打つ、とEちゃんに呪いの言葉まで掛けられて解散しました。
うちの代は、はっきり言って微妙に仲が良くなくて大変な代でした。
ゼミ長自身も「本当に手の掛かる代だった」と溢していたから、恐らく皆もそう感じていたでしょう。
今回参加したメンバーが全員じゃなかったのが残念ではありますが、
それでも最後に解り合えたようで私自身、参加して本当によかったと思っています。
私はまた4月の頭にすぐ入学式を迎えるので、卒業の実感自体はあまり湧かないのが正直なところなのですが、
今日の体験を忘れずに、また皆と顔合わせられるよう進歩していきたいと思います。